旅先で撮った写真をぼちぼち上げています

二上の兄ちゃん健在2005/07/18 17:48

山の兄ちゃんのお店は、今年はお父さんの命日にあわせてほんの3週間ほどだけのつもりで開かれていた。ちょうどその僥倖に巡りあったわけ。

・ズイキ梅酢漬
・胡麻豆腐
・山菜3種と茄子、甘梅
・そぼろと胡瓜の汁もの
・小矢部川の鮎 塩焼き(小さいが4匹)
・白エビ刺身と胡瓜千切りの酢味噌和え
・鮎雑炊
・新そば
・杏仁豆腐(蕎麦粉、スイカ)
・パフェ
・マンデリンコーヒー

堪能しました。

幼いときの記憶2005/06/15 06:52

幼稚園の頃の記憶は断片的にしか思い出せない。
朝待ち合わせの場所から歩いて通って、毎日何かして遊んだ。だが何をしていたのか。帰る時間になると園の運動場に全員集まって行進しながら並んだ。左端の列から順に園を出てゆき、自分たちの番がくると2列で行進して帰った。多分、家の方角で列分けをしていたのだろうが、そんなことは気づかなかったと思うし、覚えてもいない。行進の音楽は「双頭の鷲の旗の下に」だった。小学生か中学生に上がってから、音楽の時間にこの曲を聞き、曲名を知り、母親にねだってレコードを買ってもらった。
歌や音楽は好きだったのではないかと思う。子供はみんなそうかもしれないが、よく歌を歌った。海底少年マリンやウルトラマン。幼稚園では、童謡を習ったようだが、やはり記憶はぼやけている。「海の底には青い家…」という歌が好きだった。が、卒園と同時に歌詞はうろ覚えになり、ほんとうに長い間、この歌を聞くことなく、曲名も知らずにいた。昨年インターネットで調べてようやくその欠落が埋まった。インターネットは偉大だ。(情報を提供しているサイト管理者が偉大なのだ、というべきだろう)
しかしまだ再び歌を聞く機会はない。

思い出せる記憶は、ほとんどあらゆるものが断片的な場面、場面として浮かんでくる。まるで場面が目まぐるしく変わる劇を見ているような感じだ。象徴的なシーンが(各場面には言葉に表現出来ない、ある種の感情や気持ちがこめられているという意味で)、相互の連続性を断ち切られて孤立している。それらは私に懐旧の念を呼び起こすとともに、再び相互の関連を思い出せ、見出せといっているようだ。

あるいは事実はその逆であろうか。
象徴的なシーンが強烈に記憶に残っているために、ほかの数多くの月並みなシーンは、影に埋もれて浮上することが出来ないのかもしれない。
なにか特別の出来事(文字通り特別である必要はないが)が起こったとき、そのシーンは記憶される。 しかしなにも起こらなかったとき、ただ私が存在していたときのシーンは、ほかの巨大な時間の積み重ねと区別が出来ないために、混ざり合い、個々に生き残れないのかもしれない。
それは海の水が昨日も一昨日もいつも同じ味がしているために、後になって、これは昨日の水、これは一昨日の水と区別できないといったことかもしれない。

年輪2005/05/24 22:09

たまたま点いていたテレビでNHKのプロジェクトXが流れていた。めったにみない番組なのに、その時映っていた方の姿に引き寄せられるように最後まで見た。

番組に出ていたのは沖縄の離島駐在の看護婦さんだった。とてもいいお顔をしていた。ほかの島の方々も相次いで映った。人の生き方はまことに心がけであり出逢いであるとおもった。
日々の忙しさにおわれ、しゃかりきに用務をこなす年月は重なって年輪を刻む。私も美しい年輪を刻みたいもの、といえば違う。誠実な日々を生きたいもの、というなら、少しかすっているかな。